ケースダメージあり
爪折れあり
盤面は良好かと思います
ケースの交換可能ですのでコメント頂けますと交換してから発送致します
1969年に「Zodiak - Free Arts Lab」というクラブを数人の仲間と設立後、タンジェリン・ドリーム(1969年から1970年)とクラスター(1970年から1971年)といった西ドイツ(当時)・ベルリンの実験的なクラウトロックのグループの創始メンバーとなったが、それ以降はソロで活動を続ける。1972年にシンセサイザーEMS Synthi Aが発売されることを聞くと、わざわざイギリスまで渡り、購入した。(その際、クラフトワークの分と併せて2台運んだ逸話が残されている)。それ以降、電子音楽や電子音響の作品を制作しており、エレクトロニック・ミュージックの重要人物の一人だと言われている。生涯で、彼はソロ名義だけで実に1,500以上の作品を制作しているが、その多くが自主制作によるものである。その中には、先述の電子音響の他、前衛的な現代音楽やジャズ的要素を持つ電子音楽、インダストリアル、さらにテクノポップまでもが含まれる。
彼は、音楽家ではなく、インターメディア・ライフ・アーティストを自称している。他の多くの音楽家達と異なる点は、彫刻、絵画、グラフィック・デザイン、映像といった他のメディアで培った経験や手法を、音楽や音響作品にも応用している点である。また、パフォーマンスアートを行うこともあったが、こうした芸術活動の根底には、フルクサス運動からの影響がある。
映画『みえない雲』の監督などで知られるグレゴール・シュニッツラーは彼の息子である。