完結している場合と冒頭のみの場合があります。出版また編集関係の旧蔵品と思われます。台紙のサイズは約29x19㎝。詳細は画像を参照して下さい。 プロフィール】明治25(1892)年2月25日生まれ。出生地愛知県丹羽郡岩倉町(現・岩倉市) 経歴大正7年シベリア出兵後、反戦・労働運動に参加。9年八幡製鉄所争議を指導。昭和3年関東金属産業労組委員長、9年日本労働組合全国評議会(全評)議長。一方、4年大山郁夫ら新労農党に入党し、11年には衆院選に全国最高点で当選、12年日本無産党委員長となるが、同年12月人民戦線事件に連座して検挙。戦後は日本社会党創立委員として結党に参加、組織局長、国対委員長などを歴任し、23年芦田内閣の労相に就任。26年の社会党分裂では右派に属す。衆院当選9回。44年引退、社会党顧問となる。著書に「加藤勘十の事ども」など。