文房清玩・硯・墨・上巻/宇野雪村/文房具の歴史と古硯古墨の鑑賞を通して文房清玩の精神にふれる/文房具の歴史・硯のいろいろ・墨と黒匠

商品説明

文房清玩・硯・墨・上巻/宇野雪村/文房具の歴史と古硯古墨の鑑賞を通して文房清玩の精神にふれる/文房具の歴史・硯のいろいろ・墨と黒匠

1986年 170ページ 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。

古来、中国の文人たちは書画の制作道具《筆・硯・紙・墨》を文房四宝と称し、名品を求めて賞玩してきた。上巻では、文房具の歴史と古硯古墨の鑑賞を通して、文房清玩の精神にふれる。

文房具の歴史
はじめに
墨堤の筆祖神地下鉄銀座線を終点浅草で降りて、隅田堤をよく散策したもの だった。戦前の東京のことだからすでに五十年近い歳月が流れているが、まだ その頃はかすかに安藤広重が描いた江戸百景の風情がどこかに残っていたものだった。

その頃「言問団子」があった。今も売っているかどうか。年に数回、浅草辺 に行くことはあっても、車でかけぬけて用務を済ませて離れてしまうのでその 後を知らない。

言問橋を渡り、向 島の三囲神社に「秦蒙将軍之像碑」がある。この碑が建 立されたのは明治十六年(一八八三)のことである。筆匠高木寿穎(一八一五― 八三)が中心となって建てたものだった。

明治十三年に来朝した楊守敬の筆で「光緒八年(明治十五年=一八八二)十 月穀旦」として清朝の年号を使用しているのは楊守敬の襟度であり、当時にお ける日本と支那の国勢の差もあったのだろう。殺旦は吉日(よき日)と同義語 である。楊守敬のこの書を日下部鳴鶴は隷楷といっている。篆額は黎庶昌の 筆で彼は時の日本駐在支那公使であるが、楊の書か、あるいは楊が下書きした るのだろう。像は円山応挙の筆である。高木寿穎は中年にして筆匠となり、日 本橋大伝馬町の隣町、通旅籠町に店舗を開いて「筆舗高木法古斎」といって名 声内外にひびいた。

お探しの方、お好きな 方いかがでしょうか。

中古品ですので傷・黄ばみ・破れ・折れ等経年の汚れはあります。表紙小傷、小汚れ。ページ小黄ばみ。ご理解の上、ご入札ください。 もちろん読む分には問題ありません。220082
注意事項

注意事項
できる限りスムーズな取引を心がけておりますので、落札後2日以内にご連絡頂きますようお願い致します。

評価が悪い方からの入札は固くお断りします。特に外国人代行業者など評価の悪い方が入札された場合には予告なく削除する場合があります。

細部に至るまではチェックしておりませんので、書き込みや蔵書印等ある場合があります。ご理解の上、ご入札ください。

ほとんどは一般的な中古本ですので、状態に神経質な方はご入札をご遠慮ください。

商品は入金確認後、通常1-2営業日中に発送させていただきますが、土日を挟む場合には、週明けの発送となる場合があります。

かんたん決済でお支払いいただいた場合には審査完了後の発送となります。

レターパックにつきましては日時指定はできません。

セット商品のばら売りや値引き交渉は承っておりません。よろしくご了承ください。

商品が届きましたら、お手数ですが受取連絡を行ってくださいますようお願いいたします。なお発送後数日経ちますとヤフーから自動で受け取り催促メールが届きますが、受取連絡はもちろん商品を受け取っていただいてからで結構です。
こちらの商品案内は 「■@即売くん5.30■」 で作成されました。


この他にも出品しておりますので宜しければご覧ください。