名古屋製陶所
日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)の技師長だった飛鳥井孝太郎が
名古屋の陶磁器貿易商だった寺沢留四郎と共に明治44年設立したのが名古屋製陶所の前身の帝国製陶所。
当時、帝国製陶所はノリタケのライバルとなるほど成長しましたが
台風の被害で経営困難となり名古屋財閥の助けをかり合資会社 名古屋製陶所となりました。
その後鳴海にトンネル窯の工場を新設したものの、大戦の影響を受け昭和18年住友工業へ鳴海工場を売却します。
この工場は戦後鳴海製陶所となりノリタケ カンパニーリミテドに次いで国内では第2位のの洋食器メーカーに成長しました。
鳴海工場を手放した名古屋製陶所は、戦後輸出向けの製品を作っていましたが昭和44年に解散、60年の歴史に幕を閉じました。