2015年に生誕140年、没後60年を迎えた、ノーベル賞作家の日記全10巻、いよいよ完結!
1985年より刊行を続けてまいりました『トーマス・マン日記』の邦訳、全10巻が完結となります。マンの死後20年経った1975年に初めて公にされた膨大な量の日記を、編集者の手を加えずにそのままの形で公刊したものに詳細な注が付された本シリーズは、原書刊行時には「この日記以外に何ひとつ書かなかったと仮定しても、トーマス・マンがその時代のもっとも重要な作家のひとりであるだろうことは疑いを容れない」と評されたドイツ文学研究に必備の資料であるとともに、激動の時代を証言した、ヨーロッパ精神史の貴重なドキュメントでもあります。
マンは生前、幾たびか自らの「古い日記」を焼却炉で焼いており、残されたのは1933年から1955年までの日記と、1918年から1921年までの日記のみ。本巻には、おそらくは『ファウストゥス博士』執筆のために取りのけられ、奇跡的に「後世のために救われた」、第一次世界大戦期の貴重な四年間の記録を完全収録しました。この最終巻について編者は、「作品と人生とがこの危機の時期にどれほど緊密に一体であるかは、この日記巻で、胸を締めつけられると同時に解放されるようなありかたで明らかとなる」と記しています。
推薦文:
不変の定番 大江健三郎氏(小説家)
私は八十歳になり、小説を書くことを終りにすると心にきめて、それからの一年、そのとおりにしました。なお生き続ける私にとって、本を読むことが生きている内容です。
そして、いま氣付くのは、それらの本のなかで小説はただ一種、トーマス・マンの作品で、私が再確認したのは、この百年でもっとも秀れた世界文学の小説家はトーマス・マンだということです。十八歳の時『魔の山』を読んで自力でかちとった、文学についての知恵です。
しかも重い辞書を自由にあつかえないので日本語で読む本を中心にしたプログラムで、日本語への翻訳によってです。
その点について私が自信を持っているのは、しかも若い人たちをとくに想定しての想いであるのは、古い本の復刊から最新のものまで、トーマス・マンの翻訳はいずれも最良の本が手に入るからです。
私がいまや月ごとにわずかな回数ですが書店を訪れるたび探して、ほとんど裏切られることがないのは、細い流れであれ出続けているトーマス・マン翻訳の刊本です。つねに新しい研究者の関心を引き続けるのが、トーマス・マンなのです。
加えて、目新しいが時間をかけて工夫されている各種の選集。とくにすばらしい日記。そこでだけ初対面をはたすことのできた事柄も少なくありません。篤学で発想のいい研究者を次つぎとひきつける不変の定番が、トーマス・マンなのです。
亡命者による年代記 池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
大きな山が動くぐあいだ。あるいは、そこにノミと槌でトンネルを穿つのに似ている。はじめは無謀としか思えなかった。それが驚きに変わった。時計の針のように一寸刻みの工程が間断なく進んでいく。いまや大山を突き破るまでになった――邦訳『トーマス・マン日記』である。
ノーベル賞作家マンの日記だが、ふつう文豪とされる人が日常的にしたため、死後、栄光に花をそえるようにして出される日記や書簡集のたぐいとは、まるでちがう。それは始まりが、ヒトラー政権成立後、国外での講演旅行のあと、長い亡命生活が理不尽な運命のようにマンにふりかかった経過からもあきらかだ。日付でいえば、一九三三年三月十五日。
それにしても索引にみる項目は並外れている。えんえんとつづく人名とその言及個所の数字は示しているのではなかろうか。これは私的な備忘録ではありえない。一個人が書きとめた年代記の性格を色こくおびており、マンは亡命者という特殊な位置から同時代をつづっていった。