◆真鍮製 レプリカ◆
1600年、関ヶ原の戦いに勝利した家康公が指示した最初の小判…慶長小判を始め、幕末最後のメモリアル小判…万延小判に至る【1600年~1868年】の凡そ、268年間の時代の変遷を考察する上で大変重要な小判です。

★元禄小判(げんろくこばん)とは、元禄8年9月10日(1695年10月17日)から通用開始された一両としての額面を持つ小判であり、江戸時代の金貨としては慶長小判に次ぐものである。また元禄小判、元禄一分判および元禄二朱判を総称して元禄金(げんろくきん)あるいは元字金(げんじきん/げんのじきん)と呼び、同時に吹替えが行われた元禄銀と合わせて元禄金銀(げんろくきんぎん)と呼ぶ。

表面には鏨(たがね)による茣蓙目が刻まれ、上下に桐紋を囲む扇枠、中央上部に「壹」下部に「光次(花押)」の極印、裏面は中央に花押、下部の左端に小判師の験極印、吹所の験極印さらに花押の左に『元』字が打刻。『元』字の最後の跳ねが長い長元と、短い短元が存在し、短元を京都で造ったものであるとする説もあったが、元禄金から京座や駿河座は存在せず江戸で造られたものであり、京都の小判師も江戸に呼ばれて小判の制作に参加したから、京の小判師の制作によるものとする考えもある。

佐渡の金座においても鋳造され、「佐」の極印が打たれた佐渡小判についての記録があり、小判師の験極印は「六」、「馬」、「沙」、吹所の験極印は「神」、「当」に限られるが現存は未確認であり、江戸鋳造のものと同品位であるから実際には「佐」の極印は打たれなかったと推定される。 

◆参考資料◆
文禄2年(1593年)橋本庄三郎は徳川家康と接見し、文禄4年(1595年)には彫金師の後藤徳乗の名代として江戸に下向した。出身は美濃国加納城主長井藤左衛門利氏の末裔ともされるが、疑問視されおり、庄三郎の本姓は山崎との説もある。

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