以下、所謂ブラクラショートショートです〜〜


「黄金の絆」

大阪の老舗宝飾店「黄金堂」の片隅で、一本のブレスレットが静かに輝いていた。18金の喜平チェーンは、109.86グラムという重量感とともに、職人の技が生み出した美しい輝きを放っていた。

店主の山田耕造は80歳を超えていたが、まだ現役の職人として腕を振るっていた。彼の祖父から受け継いだこの店で、代々喜平の技術を磨いてきた家系だった。

「おじいちゃん、このブレスレットすごくきれいね」

孫娘の美咲が、ショーケースに展示された喜平ブレスレットを覗き込んでいた。

「ああ、これは特別な品だよ。0.84カラットの天然ダイヤモンドを埋め込んだ逸品でな」

耕造は優しく微笑みながら、ブレスレットを取り出した。12.8ミリの堂々とした縦幅を持つチェーンは、まるで生きているかのように光を反射する。

「昔な、喜平は単なる装飾品じゃなかったんだ。古代から人々の願いや祈りを込めた大切なものだった」

耕造は懐かしそうに語り始めた。戦後の混乱期、彼の父が命がけで守り抜いた喜平の技術。バブル期には派手な装飾品として持てはやされ、その後の不況でも変わらぬ価値を保ち続けた歴史。

そんな話を聞きながら、美咲は祖父の手元で輝くブレスレットに魅了されていった。21.5センチの長さは、まるで永遠に続く時の流れのように感じられた。

その時、店に一人の青年が入ってきた。父の形見の喜平ブレスレットを修理に来たという。

「父は昔、このお店でブレスレットを買ったと聞いています」

青年・健一の言葉に、耕造は目を細めた。30年前、彼が作った喜平だった。当時まだ若かった父親が、必死に貯金して買い求めたものだという。

「このブレスレットには、あなたのお父様の夢が込められているんですよ」

耕造は丁寧にブレスレットを磨きながら語った。バブル崩壊後も手放すことなく大切に着け続けた父の思い。それは単なる装飾品ではなく、家族への愛情の証だった。

修理を終えたブレスレットは、新品同様の輝きを取り戻していた。健一は感謝の言葉とともに、父から聞いた当時の話を耕造に伝えた。

その日から、美咲は祖父の仕事を手伝うようになった。古来より受け継がれてきた喜平の技術と、そこに込められた人々の思いを学んでいった。

時は流れ、耕造が引退を決意した日。彼は美咲に一つの箱を渡した。

「これはな、お前のために作った特別な品だ」

箱を開けると、あの天然ダイヤモンドの喜平ブレスレットが入っていた。

「おじいちゃんの技術と、たくさんの人の思いが詰まった宝物。これからは、お前が次の世代に伝えていってほしい」

美咲は涙を浮かべながら、ブレスレットを手に取った。そこには、数千年の時を超えて受け継がれてきた職人の誇りと、家族の絆が輝いていた。

今日も「黄金堂」では、新しい喜平が作られている。それは単なるアクセサリーではなく、人々の想いと歴史をつなぐ、永遠の輝きを放つ存在として。

美咲は今、祖父から受け継いだ技術を若い職人たちに伝えている。彼女の手首で輝くブレスレットは、これからも新たな物語を紡いでいくだろう。

ノーブルジェムグレーディングラボラトリーの鑑別書付。