商品説明 |
| 戦乱の世を彷彿させる上杉の鎧と火縄銃/謙信は他藩より早く新兵器を取り入れ軍用第一の利器として熱心な研究者・優秀兵器の使用者であった
平成11年 カラー 厚さ約5mm程度 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
藩祖上杉謙信は春日山城内に唐人式部秀政を招き、伝授を受けられたと文献にある。唐人というと支那人かボルトガル 人を思われるが、謙信はどちらにしても他藩よりいち早く新兵器を取り入れ「軍用第一の利器」として熱心な研究者でもあり優秀兵器の使用者でもあった。
上杉軍十将の一人斎藤下野守朝信は、川中島合戦において は鉄砲大将として武田軍を悩ましたことは浮世絵版画でも有 名である。 当時の鉄砲がどれほどあったかは不明であるが、謙信は新兵器使用者の第一人者であった事は事実である。謙信、景勝 二代に仕えた直江兼続も又鉄砲研究者であった。
当時の鉄砲は五匁筒(玉の重さで十八、七五グラム)が主 であり、玉は小さいが鉄砲の価格が高価で、求めるにも容易 でなかった。鉄砲は近江の国友村、紀州根来などで生産され ており、大阪、堺などから調達しなければならなかった。 景勝の時代になると越後でも製造するようになった。その後米沢に移封されたとき軍備として秘密のうちに、近江国よ り吉川惣兵衛、泉州堺より和泉屋松右衛門を招き、譜代の鍛 冶職小山清左衛門などを集め、吾妻山中(現在の山形県米沢 市白布温泉)において一千挺の鉄砲を鍛造した。 発砲の流儀も種々あったが、米沢に残る稲富流砲術は、慶長年間播磨(兵庫県)に住んだ稲富伊賀守祐直(別名一夢軒) が元祖といわれ、初代米沢藩主上杉景勝は家臣を稲富伊賀守 にやってこれを学ばせた。また種子島流を丸田九右衛門に学ばせた。 米沢では大熊伝兵衛と丸田九左衛門を鉄砲頭として代々砲術に励んできた。
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