丹羽文雄
(1904~2005)三重県四日市市生れの小説家。浄土真宗住職の長男と生れるも、複雑な家族関係の中、一度は寺を捨て、
尾崎一雄、火野葦平らと交わるも、早稲田大学卒業後、僧職に就く。同人誌に発表した小説が
永井龍男によって評価され、次作『鮎』文壇で注目されると、僧職を捨て上京。
各誌の新人特集に作品が掲載された。戦中、発禁処分になりかけると、海軍報道班員として従軍した。
戦後、中村光夫に「風俗小説」と批判され、亀井勝一郎に「親鸞の足元で遊んでいる」と指摘され、
『親鸞』『蓮如』を書く。1950年代には同人誌『文学者』を主宰、文壇の大御所として、
瀬戸内寂聴、吉村昭、津村節子等を育成し、舟橋聖一とはライバル関係にあった。
1956年から日本文藝家協会理事長、1961年から会長兼任。1977年、文化勲章受章、文化功労者。
1987年からアルツハイマー型認知症発症、介護した娘が手記等を発表するも、先に亡くなる。
2005年、肺炎のため死去。100歳。